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せんだい藩天文学史 コラム No.1

 
 ■近代天文学の発祥の地は、仙台なのかも知れない?
 
 従来、仙台の天文学は渋川春海から伝わったとされてきました。幕府で碁の先生をしていた渋川春海は、それまで八百年以上も使われ続けた暦を改め幕府の天文方となり、近代天文学の祖といわれている人物です。彼が一六八四年に成し遂げた貞享の改暦が、科学的な業績であることは勿論ですが、その実、彼が天文学者であったかについては大いに疑わしいのです。

 春海の天文が伝わった直後の仙台には、遠藤盛俊、入間川重恒、佐竹義根という天文家がいました。遠藤盛俊は渋川家に伝わる数々の秘伝書を授かり、入間川重恒は渋川家の養子となり天文方をも勤めた人物です。そして、遠藤、入間川の後を継ぐのが佐竹義根です。しかし、彼らには和算を学んでいた形跡がありません。彼らの著作を見る限り、特に和算の知識を必要とするものではないのです。

 仙台には、春海の“春”の字を受け継いだ天文家がたくさんいます。佐竹義根の孫弟子にあたる、岩出山の名取春仲もその一人です。東北大学図書館には、名取春仲が残した天文学に関する本がたくさん残されています。このため、名取春仲は天文学者であるとされてきました。しかし、近年になって、名取春仲の門人が残した多くの神道書が見つかりました。これらの神道書は、渋川春海から伝わったことが明記されており、春海の学問が神道であったことが解ったのです。

 ちょっと変わった例えですが、神道をパン、天文学をカレーと考えましょう。神道研究家は、春海の好物はパンだとしていますし、天文史研究家はカレーを好んでいたといいます。つまり、春海はパンとカレーが好きだったというのです。しかし、本当の好物は、カレーパンであったというのが私の解釈です。カレーパンはパンか、カレーか? 勿論、パン(=神道)でなのです。私が、春海の業績を科学であると言いながら、科学者としての彼に疑問を抱いている理由はここにあります。

 一方、名取春仲の残した天文学の書物は、遠藤盛俊の後を受けて藩の天文学者となった戸板保佑の流れを汲んでいます。戸板保佑は、神道を一切学ばなかったとあり、和算の師である青木長由と共に、暦の改良を目的として天体観測を行っていたことが解っています。これは、現代の尺度に合わせても、充分に天文学と呼べるものです。

 つまり、仙台に入ってきた天文は神道であり、ここから近代天文学が誕生したということなのです。

 
 

 

 

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