[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

せんだい藩天文学史 最近の調査から No.1

 
 ■検断○○○・・・(1)
 
一、寛政五年正月七日大地震。飯後刻なりしがそれより幾度ということを知らず。家内に居る事叶わざる程故、戸外に立ち出で火の用心専らに心がけ町内用水を気を付け、締り役善七と出会してはなしいたるに、沖の田畑上へ津波上りて、高田村道筋長砂海道まで上り、今泉川筋は川辺にこれある船々は上中井、又は杉の下裏川まで泥水となり、船々流れ行きて長部湊は居家ヘ四尺水上げたり。大船渡浦々浜あたり同様、大船渡にて馬屋引水に取られて馬二疋死馬になり、外は御郡中に痛み外変りなし。然るに、大船渡赤崎御塩場廻り石垣一宇引水にて破損せしに、御普請御郡受けにつき即より取りかかりて、大肝人吉田宇右衛門という人右場所日数四、五十日詰めおりて元の如く出来せし事。誠に喜び入り候事なり。これによって、仙台に召し寄せられ、組抜格になしくだされ候なり。
 つけたり。右大地震のこと余り不審なるにつき、則御奉行様御寄り合い天文者を召し出だされ、いかなることかと御尋ねありけるに、御大変の印なりと答え候由のところ、日向様、大変とはいかがのこと、と仰せられ候えぱ、天文者答え、大変と申す儀御不分りにては申し上げベき様これなき段、答え候えば御立腹のよう模様ありければ、大隅様、当国ぱかりに侯や余国も同様に候やと尋ねられ候えぱ、江戸は揺り申すまじくと答え上げ候えば、御用済み候段仰せわたされ、あい下り候由に候ところ、その年の内に屋形様始めあげ御三方様御死去あそばせられ候由にこれある段、天文者追々申し上げ候由。

    

 久々に図書館に行って調べた資料の中に、面白いモノを見つけました。
 寛政五年に起きた大地震に対して、奉行衆がわざわざ天文者を呼び出して、事の次第を尋ねたというのです。天文者の歯切れの悪い回答に、お奉行日向さま(中村景貞)はご立腹の様子であった。同じく奉行職の大隅さま(泉田倫時)も天文者に突っ込みを入れるが・・・
 その後、寛政八年にお屋形さま(伊達斉村)や、斉村夫人が亡くなってしまって、さあ大変!って事のようです。当時の仙台の天文方は、
藤広則。天文者なら大塚頼充の時代です。呼び出されたのが、どちらかは判明しませんが、、、、

 当時の人々の天災に対する捉え方が、よく解る一節だと思います。

 この文書の名前は・・・・済みません。メモるの忘れてました! 検断○○・・・という、大船渡辺りの古文書でした。ちゃんと調べて置きます。

 後日。検断久助 文化・文政・天保の記録・・・でした。

Topに戻る