[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

せんだい藩天文学史 最近の調査から No.2

 
■検断○○○・・・(2)
 
一、天保十四年二月初めより柱の如くなる雲気西より東ヘ見え候こと。同十二日夜暮れ過ぎ有り明けに見え候こと。右は星の由に候こと。末々これあるなり。<43の6>

一、天保十四年二月六日夜より未申に当たり彗星の由あい見え申し候。御上屋敷より富士の方にあい見え月の光にて輝きいかなる訳に候や、俗の目には雲の様に候えども、天文方船山左司馬若老衆ヘ御呼び寄せ御尋ねなされ候えばやはり彗星の由、巾は一度半・長さ世界より六度一にて六十度余にこれあり、前代未聞の大星にこれあり土御門御持ち前のことにて、天文方にては評は付け申さざる由。併し前例右様の星顕れ候節天下変事の例を引き出し申すベく未だ吟味決せざる由なり。多分春過ぎより五ッ時まで見え申し侯。剣先の方はしかと見きり申さず初晩よりは段々立て顕れ、昨夜も見え候えども最初より余程薄くあいなり、俗の目にはどうも星の様には見え申さず、何れ凶事の考えにこれある由あい聞こえ、常日頃にもあいなり侯はば真南に出で申すベき由右、左司馬申し開き候唱えこれあり変事に御座候間申し上げ候。剣先は何国にあい当たり候や見え申さざること。

<43の10>

 
 No.1 と同じ資料からの引用です。

 今度は、天保十四年に現れた、大彗星に関する記録です。この時は、幕府天文方で暦官をしていた船山左司馬が、若老衆に呼び出されています。やはり、吉凶について質問されていますが、何となく歯切れの悪い回答を行っています。

 天保十四年の彗星 について

 船山左司馬 について

Topに戻る