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せんだい天文史跡めぐり

 
 ■天経或問   西川正休 訓点  享保15年(1730) 
 
 宝暦の改暦は、8代将軍徳川吉宗による享保の改革の一環として行われたと言います。禁書の令が緩められ、中国から西洋流の暦書である、暦算全書が輸入され、翻訳が進められていました。
 天経或問は、これより少し前、春海の時代に読まれていた天文書で、後に天文方となった西川正休により享保15年に出版されました。西川は、このような実績が認められ、天文方に抜擢されたのでしょう。当時としては、新しい天文学が紹介されていますが、天経或問は暦算を行うための本ではありません。
 西川は宝暦の改暦の際に、幕府側の担当者として京都へ出かけますが、土御門泰邦と仲たがいし失脚しました。
   
 天経或問では、地動説も紹介されていますが、主として天動説が紹介されており、当時の人々は素直に天動説を受け入れています。春海自身も、貞享暦を作るに当たり、天経或問を参考にしたと言われています。
 佐竹義根の弟子である、米沢藩士の穴沢篤信は、地動説を唱えたとありますが、これも天経或問の影響なのでしょうか。

   

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