芦東山(あしとうざん) 仙台藩儒学者 |
| 元禄9年(1696)-安永5年(1776) |
| 芦東山は仙台藩を代表する儒学者ですが、学問所運営に関して藩と対立し、蟄居を命じられてしまいます。しかし、蟄居中に著した「無刑録」は明治時代になって再評価され、刑法の原典とされたほどです。芦は易学に興味があり、ものごとの判断に困ると易を使ったという記録もあります。芦は、江志知辰の門人でしたが、知辰没後も遠藤盛俊、入間川重恒(渋川敬也)、佐竹義根などとの交流が伺われます。特に、年齢も近い佐竹義根とは親戚関係にあったようで、頻繁な書状のやり取りがあるなど、大変興味深い人物です。また、赦免後は、大塚頼充、高野倫兼、志村東嶼などとの交流が見られます。佐竹派は儒学者や藩の重臣たちの大きな支持を得ていたのでしょう。 おそらく芦が江志から学んだものは天文学ではなく、易や天文道だったのでしょう。 |
| ■関連資料 |
| ・東山先生講書余談 ・芦東山の書状・八番(宝暦元年) |
| ■芦東山略歴 |
| 元禄9年(1696) 芦東山生まれる。 宝永7年(1710) 芦東山、田辺整斎の門弟となる。 江志の教えを受ける。 享保元年(1716) 京都に遊学。3月24日、浅井義齋の門人となる。 享保2年(1717) 9月9日三宅尚齋の門人となる。 享保6年(1721) 芦・入間川と渋川家への養子について議論。 室鳩巣と出会う。 享保20年(1735) 講堂設立の願いを出す。 元文3年(1738) 6月11日、幽閉。無刑録を書き始める。 延享1年(1744) 芦東山、木星食の観測。 寛延2年(1749) この頃、芦と佐竹・頻繁に書状を交換。 寛延3年(1750) 芦・佐竹より天文図・天文図解を借りる。 寛延4年(1751) 佐竹と改暦に関する書状の交換 日記に日食の記載(頒暦にない日食) 宝暦6年(1756) 10月19日、娘さく、畑中太忠へ嫁ぐ。 宝暦11年(1761) 赦免。 宝暦13年(1763) 日記に日食の記載(頒暦にない日食) 安永4年(1775) 志村東嶼・郡山道遠が来訪。 安永5年(1776) 芦東山・没する。 |
| ■師弟関係 |
| 畑中太忠 ┏━別所実有――畑中太忠 |