江志知辰(えしともとき) 仙台藩天文・数学者 |
慶安2年(1649)−正徳4年(1714) |
| 通称 彦惣、彦助。卜格と号する。 先祖は伊達郡江志郷を領す。 8才で母を、13才で父を亡くし、覚範寺の僧・徹宗に引き取られました。 10年以上も仏書を見て育ち、仏門を志し、寛文10年の夏、徹宗和尚の推薦により肯山公に仕え、勘定役になり江戸で仕えました。20才の時、中西正則に従って算術を学び、更には、東禅寺天霊禅師に付いて易学を学びました。五行十干の理、卦殳彖象の義を良く理解しており、ひとたび筮(めとぎ)を執れば必ず吉凶が決まるとまで言われました。また、渋川春海に従って天文を学び、元禄16年には、綱村公は江志を呼んで天球儀・地球儀の説明を聞きました。吉村公も二球を見て説明を聞き、いたく感激して加録したといいます。正徳4年4月22日没する。享年66才。仙台半子町宝珠山寿徳寺に葬る。 貞享年間、藩の命を受け、江戸に出て中西正則の門人となり皆伝免許を受けるともあります。 江志は仙台藩に数学・天文暦術・易の3つをもたらせた人物として知られています。江志がなぜ、春海の門人になったのかは定かではありません。 江志が江戸の藩邸で勘定役にあたっていました。春海は貞享3年から、麻布に居を構えていましたが、毎年年末になると仙台藩の麻布藩邸に暦を持ってきたことなどから、早い段階で江志が春海を知る機会があったようです。 |
![]() 覚範寺 |
| また、江志は数学を中西正則に学んでいますが、兄の中西正好にも学んでいたといわれています。中西正好と春海は兄弟弟子の間柄であったことも、江志の弟子入りに関連があるのかも知れません。江志は易学に興味を持っていたことから、春海に易を学ぶために入門したのではないでしょうか。 |
| ■江志知辰略歴 |
| 慶安2年(1649) 生まれる。 (1656) 母を亡くす。 寛文元年(1661) 父が亡くなるとともに、覚範寺の徹宗に引き取られる。 寛文8年(1668) 中西正則に算術を学ぶ?20才。 河南町前谷地用水大堤潜穴普請にて、天野茂平治と共に測量を行う。 (茂平治も中西の門人) 寛文10年(1670) 江戸藩邸の勘定役となる。22才。 中西正則に算術を学ぶ。 東禅寺天霊禅師に付いて易学を学ぶ。 貞享元年(1684) 貞享の改暦 貞享年間 中西流の免許を授かる。 元禄元年(1687) 東照宮の改築で、勘定方を勤める。 元禄6年(1693) 改築工事が終わり、賞される。 渋川春海に天文を学ぶ。 元禄14年(1701) 青木に免許を授ける 元禄16年(1703) 綱村公に天球儀・地球儀を説明。55才。 吉村公に天球儀・地球儀を説明。加録される。 宝永7年(1710) 芦東山、門人となる。 正徳元年頃 病気になる。この頃、葛西重矩が門人となる。 江志知辰、周転円を理解する。 正徳4年(1714) 4月22日 没。66才。仙台半子町宝珠山寿徳寺に葬る。 |
| ■師弟関係 |
| ┏━遠藤盛俊(1672-1734) ┃ <中西正則>━━┓ ┣━芦東山(1696-1776) ┃ ┃ <渋川春海>━━┻━江志知辰━━━╋━葛西重矩 (1639-1715) (1649-1714) ┃ ┣━青木長由(1669-1740)(数学門弟) ┃ 元禄15年正月免許 ┣━古山新之丞(数学門弟) ┃ ┣━杼窪新之丞(?-1731)? ┃ ┣━伊藤十兵衛(岩出山大肝入:数学門弟) ┃ ┣━杉沼善之丞宿守(数学門弟) ┃ 元禄五年養子(?) ┣━竹田半之丞(数学門弟) ┃ ┣━セウデン(盲人) ┃ ┣━ホウミヤウ院(山伏) ┃ ┣━ハンセウ院(山伏) ┃ ┣━金成太平(易学門弟) ┃ ┗━岡部市左衛門 |
| ■江志知辰 資料 |
| ●エシ・トモトキ 【江志知辰】 天文家。彦惣と称し、卜格と号す、八歳にして母を喪ひ、十三歳の時父を喪ふ、後ち覚範寺の徹宗和尚に随侍して心を典籍に潜め、學ぷこと十余年、常に法門に志し、博く彿書を閲す、寛文十年の夏、徹宗和尚之を綱村公に推薦し、勘定役となって江戸に勤仕す、時に二十歳、中西正則に従ひて算法を學ぴ、盡く其奥義を極む、又東禅寺天霊禅師に就きて、易學の傳を受け五行干支の理、卦殳彖象の義を審にし、一たび筮を執れぼ吉凶必ず決す。叉保井春海に従ひて天文を學ぴ、其傳を得たり、元禄十六年の春綱村公其舎に臨みて天地の二球を見る、乃ち命を奉じて天文の大意を説明す、吉村公また之を召し、二球を見て其説を聴き、天文暦學の妙を感賞し、更に秩禄を加賜せらる、正徳四年四月ニ十二日、辞世の偈を書し、端然として没す、享年六十六、仙台半子町壽徳寺に葬る。(碑文) ●先生、(江志)彦惣に行かるる節には、セウデンといえる盲人今の町より通う ホウミヤウ院といえる山伏、ハンセウ院といえる山伏、金成太平学校の目、岡部市左衛門、遠藤七左衛門にても彦惣の門人よきゆえに渋川六蔵(春海)殿へも遣わすなり。 ●江志知辰 遠藤盛俊 渋川図書 佐竹義根 大塚頼充 江志知辰、彦惣ト称ス、其先ハ伊達郡ノ人、江志郷を領ス、因テ氏トス、知辰八歳母ヲ喪ス、十三父ニ訣レ、覚範寺徹宗ニ髄侍シ、博ク彿書ヲ閲スル十余年、寛文甲戌ノ夏、徹宗ノ推薦ニヨリ、始メテ肯山公ニ仕へ禄ヲ賜ヒ、勘定役トナル、叉中西氏ヲ師トシ、算術ヲ學ヒ、其奥義ヲ極ム、東禅寺天雲ニ謁シ、易學ヲ傳受シ、五行支干ノ理、卦爻彖象ノ義ヲ審カニス、叉保井、○後渋川ト改ム 春海ニ従ヒ、天文ヲ學フ、獅山公其精業ヲ賞シ加禄ス、正徳四年四月二十二日没ス、年六十六、宝珠山寿徳寺ニ葬ム、法名ヲ一法誠入居士ト云、碑文 其業ヲ継ク者遠藤盛俊トス、仙台金石志 ●一法誠入居士 |