名取敬純 岩出山・商人 |
宝暦9年(1759)−天保5年(1834) |
| 号:春仲 姓:源 字:敬純 通称:権右衛門 醸造業を営む商家に生まれる。 |
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有備館には、坤輿万国全図の写図が残されていたとあるが、これは大正時代に名取家から伊達家に寄贈されたものであるが、現在は仙台市博物館に寄贈されている。これとは別にアメリカの地図収集家が所蔵していた名取の坤輿万国全図、天文図の屏風を仙台市博物館が購入した。また、春仲が使用した地球儀、天球義が、一栗安養寺の須江家に所蔵されていたが、現在では有備館で公開されている。 安永9年頃より、仙台藩は特定の酒屋に限り、清酒の他藩への移出を認めるようになった。文化年間になると、藩は積極的に他藩への酒の移出を奨励するようになった。岩出山では文化2年から文政10年頃まで、(登酒)江戸へ出荷していたようである。甚三郎は、登酒用の清酒を造るため、上方の杜氏を呼び寄せ、すぐれた技術を取り入れた。 |
| 名取敬純年表 |
| 宝暦9年(1759) 岩出山の醸造業を営む商家に長男として生まれる。 安永後期頃 橋元治正の門人になる。 天明7年(1787) 8代目甚三郎 生 寛政5年(1793) 桜田利慶に入門、統伝を受ける。 寛政6年(1794) 9代目甚三郎 生 『天学答問記』を写す。 山形の西谷儀右衛門ら19人の天学御法度遵守の覚 寛政7年(1795) 桜田利慶、没。 寛政8年(1796) 『交食草』の計算。この頃、藤に入門か? 『半昼夜分草』 『五星細草』の計算 寛政9年(1797)頃 『交食草』 敬純推歩 『五星細草』 敬純推歩 『毎日細草』 敬純推歩 仙台家中増田繁廉の誓約書 寛政10年(1798) 『天文雑集記』 敬純口授 藤田加内 『西洋法日月交食草』敬純推歩 『交食草』 敬純推歩 『気朔草』 敬純 寛政11年(1799) 山形の仲八、門人となる。 寛政12年(1800) 『西洋法日交食草』名取推歩 『気朔草』 敬純推歩(校訂密法) 土御門泰栄の直弟となる。 享和元年(1801) 『天文活道或問』名取春仲 この頃、土御門家に入門。 文化元年(1804) 『洛陽往来文留控』始まる。東根の仲八の入門願い。 『土星細草』春仲推歩 狩野将直弁書 晴明の800年祭 文化2年(1805)頃 江戸への酒の出荷を始める 文化5年(1808) 村上治郎左衛門 誓約書 文化6年(1809) 『龍雷伝』名取春仲著・大内春園写 文化8年(1811) 『五十聯』名取春仲 文化13年(1816) 『文化14年望・安永2年望』春仲誌 『文化14年暦(崇禎暦法)』 『文化14望食(崇禎暦法)』春仲推 文政3年(1820) この頃,太田幾右衛門,春仲の門人となる 文政5年(1822) 京都に行き、土御門家師の内弟子になる。 名取春郷・生まれる 文政10年(1827)頃 江戸への酒の出荷を停止 文政11年(1828) 『言上書』にて賀茂真淵などを批判 京都の土御門家に行き三天九道北辰の奥義を講じる。 天文生の号を受け,土御門家の補佐役となる。 「秋葉山塔」の碑文を書く。 文政12年(1829) 12月16日,塩野小四郎(天学免許状),鷲塚甫仲(免許) 天保元年(1830)頃 太田幾右衛門、遠藤三七、直弟願い。 「山神塔」の碑文を書く。 天保2年(1831) 2月,遠藤三七の免許届く 天保3年(1832) 大江房之助門人となる。 天保4年(1833) 『日テン細草』名取春仲推歩 『半昼夜分草』名取春仲 『交食草』春仲推歩 『気朔草』春仲推歩(密法) 天保5年(1834) 名取春仲 6月14日歿。76才。 弘化3年(1846) 8代目名取屋甚三郎 没 安政6年(1859) 9代目名取屋甚三郎 没 慶応元年 12月,遠藤三七,陰陽道取締役となる 明治 春郷、八幡神社の神官となる。 明治 春郷、荒雄神社の神官となる。 明治22年(1899) 名取春郷没 |
| <名取敬純師弟関係> |
┌───────>┌───中田久助(矢野数馬定明(1752-1834)内とある) | | | | ┌―増田永之丞繁廉(仙台家中:155石) 寛政九年 | | | (1779‐1811:小姓) | ├>├―狩野將直(春沢) ──┬─狩野章十郎 | | |(一迫:1776-1855?) |(一迫:?-1895) | | | | | | ├―伊藤休珀秀光 ├─佐藤常治 | | | (寛政十年) | | | ├―木内多蔵 ├─上川名源治 | | | | 橋元治正良安―┴┬――須江英信――─┴―須江充広───┬─>└―須江充頼(春寿) (春波:1729-1804->)| (1756-1814) | (充信<-1797-1842->)| (1805-1859) | | | 桜田利慶 ――─┤ | ┌─大江広次───┤ ( -1795) | | |(春岱:1798-1836)| | | | | 藤広則 ───>┴─―名取春仲―┴―┼────────┘ (1748-1807) (1759-1834) | ├─名取春穐?―――――――名取春郷 | (1822-1889) 名取派 | ├─佐々木仁右衛門春泰(春明:1781-1826) | (利府・肝入、大肝入) | ├─佐々木実由(春龍:1805-1867) | ├─遠藤三七(春芳: -1878)・山形、免許 | ├─三塚秀助(春里:一迫町長崎) | ├─塩野小四郎(春沖:山形最上)、免許 | ├─大内甚左右衛門(春曦:藩士) | (寛政12年頃の門人) ├─大内春園(次の3人のいずれか?) | ├─大内九内 | ├─大内伊太良 | ├─大内善太郎 | ├─片平善太夫 | ├─安積権兵衛(家老:1826-1892の父か) | ├─高橋仲五郎 | ├─目黒体硯 | ├─弥内清兵衛 | ├─千葉伊衛門 | ├─??春洋 | ┌狩野(天沢) ├─仲鉢周右衛門(春征)―┤ | (花山村:1773-1860) └高橋(天沢) | ├─安倍小右衛門(一迫町長崎) | ├─新妻勇記(藩士) | (寛政12年頃の門人) ├─新妻 斉 | ├─高橋 斎(藩士) | (寛政12年頃の門人) ├─太田幾右衛門(1779-1838)(山形) | ├─佐藤一信 | ├─桜井定協 | ├─與作(石巻住吉) | ├─仲八(山形県最上東根:免許) | ├─鷲塚甫仲(最上:春良:免許) | ├─喜平治(山形) | ├─権内(山形) | ├─結城常吉(山形) | ├─西谷儀右衛門(山形の商人か) | ├─西谷與市(山形) 寛政六年 | ├─後藤忠兵衛(山形) 寛政六年 | ├─草苅清兵衛(山形) 寛政六年 | ├─草苅伊兵衛(山形) 寛政六年 | ├─名取勘兵衛(山形) 寛政六年 | ├─長谷部権治郎(山形) 寛政六年 | ├─佐久間善兵衛(山形) 寛政六年 | ├─高田忠蔵(山形城下の商人。薬種商を営む) | ├─大沼勘四郎(山形城下の商人。酒屋を営む) | ├─斎藤傳次郎(山形) 寛政六年 | ├─中村可吉(山形) 寛政六年 | ├─小林八五郎(山形) 寛政六年 | ├─西谷清八(山形) 寛政六年 | ├─金剛院(城下で私塾を営む) | ├─慈眼院(山形) 寛政六年 | ├─鈴木栄吉(山形) 寛政六年 | ├─鈴木重吉(山形) 寛政六年 | └─桜井弥太郎(山形) 寛政六年 |