大江広次 伊達家藩士 |
寛政10年(1798)−天保7年(1836) |
| 義平、房之助 号:春岱 50貫文(500石) 名取春仲没後に、名取派のリーダーとなった人物。しかし、名取が亡くなってから僅か2年で大江も亡くなっている。大江没後、岩出山のリーダーは須江頼充に移ったと見られる。文政12年頃から名取春仲に天文道を学ぶが、天保3年に土御門家の門人となり安家天文道を正式に学び始める。これと同時期から春岱の号を使いはじめる事から、号は入門時に受けるのであろう。 |
| 大江広次年表 |
| 寛政10年(1798) 大江広次生まれる。 文政12年(1829) 「天学答問記 上・中・下」 写 「安 土金極秘伝」 写 天保2年(1833) 「北辰大極一」 写 天保3年(1834) 藩に5年の暇を願い出て安家天文道を学びはじめる。 この頃、春岱の号を受ける。 「辰秘伝」写 天保5年(1834) 名取に代わり、名取派のリーダーとなる。 天保6年(1835) 「洛陽往来文」を書き始める 「神道秘伝」写 「古事記日本書紀活実五行伝」写 「■楽并神楽訓伝」写 天保7年(1836) 須江秀三郎充頼の入門願い? 「暦算全書 八線表解」写 大江広次歿。39才。 |
| <大江広次師弟関係> |
名取敬純(春仲)───大江広次(春岱:藩士・1801-1836)───須江充頼 (1759-1834) (藩士:1805-1855->) |