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江英信・充広・充頼 岩出山伊達家・藩士

宝暦6年(1756)‐文化11年(1814)

 
 名取春仲と同時期に桜田伝右衛門から渋川家天文道を学んでいたと思われるのが、須江英信です。「気朔草」(二十四節気と朔望)の計算を行っており、藤広則にも学んでいました。
 英信の息子である充広(充信)は、入門はしているものの免許は受けていません。塩釜千賀浦水軍の火術者でした。この水軍の指揮官である村上治郎左衛門源義端も文化五年に、門人となっています。
 充広の息子である充頼は、名取春仲没後に統伝を継いだ人物で、春寿の号を持っています。
   
 
須江充頼年表
 
 宝暦6年(1756) 須江英信、生まれる。
 安永後期(1780頃)
須江英信、橋元春波に師事
 寛政5年(1793) 
須江英信・桜田に入門・統伝を受ける?
 寛政6年(1794) 
須江英信、門人を取り始める
 寛政9年(1797) 
須江英信、門人願いを受ける。
 寛政10年(1798) 
須江英信、狩野・木内の門人願いを受ける。
         
須江英信、伊藤・須江充信(充広)の門人願いを受ける。
         
須江英信『気朔草』推歩
 文化2年(1805) 
須江充頼 生まれる。
 文化11年頃   
須江充広 家督相続
 文化11年(1814) 
須江英信、没する。
         須江充広
、この頃塩釜千賀浦水軍火術者
 文化12年(1815) 充信から充広に改名
 文政3年(1820) 
須江充広『正直秘伝』・写
 文政4年(1821) 
須江充広『安家土金極秘伝』・写
         
須江充頼『安家蛭児伝』・写
 文政5年(1822) 
須江充広『潮汐干満伝』
 文政8年    
須江充広 村上より火術の秘伝を受ける。
 文政11年(1828) 
須江充頼『安家天文道??極秘伝併誠偽伝』・写
 文政14年(1829) 
須江充頼『安家蛭児秘伝』・写
 天保4年(1833) 
須江充頼『辰は神也・・・』(辰秘伝?)・写
 天保5年(1834) 
須江充頼・天文道皆伝
         名取春仲、没する。
 天保6年(1835)
 須江春寿(充頼)『拾玉抄』・写
 天保7年(1836) 
須江充頼・土御門家へ入門(春寿)
         
須江充広病気につき須江充頼名代
         大江春岱、没する。
 天保9年(1838) 
須江春寿『殿村の伝書類』・写
 天保10年(1839) 
須江充頼・8月15日『神文の事』を土御門家に送る。
 天保13年(1842) 
 嘉永2年(1849) 
須江永信、家督。
 嘉永4年(1851) 
須江充頼、狩野より春仲の秘書を受ける
 安政2年(1855) 
須江充頼、狩野の書を写す。 
 安政6年(1859) 
須江充頼、没する。 
 慶応元年(1866) 須江永信 京都警護に行く。同僚の堀武治,土御門家へ入門。
 
<須江英信・充広・充頼師弟関係>
 


                    ┌―増田永之丞繁廉(仙台家中)
                    |
                    ├―伊藤休珀秀光
                    |
                    ├―本内多蔵永
                    |
  橋本治正(春波)─┬―
須江英信―――─┴―須江充広─┬───>┌―須江充頼
          | (1756-1814)       -1836->|    |(1805-1859)
  
桜田利慶 ――─┤         ┌―大江広次―┤    ├─佐藤常治
          |         │ (1801-1836)|    |
          └─
名取敬純(春仲)─┼──────┘    ├─上川名源治 
            (1759-1834)   |           |
                    └─
狩野將直(春沢) ──┴─狩野章十郎
                     (一迫:1776-1855?)   (一迫:?-1895)
                                       
 
 

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