高野兼良(たかのかねよし) 仙台藩儒学者 |
宝永5年(1708)−宝暦8年(1758) |
| 諱は兼良、通称兵蔵。立斎、春麟と号す。父は小兵衛・雪斎と号す。書をよくす。69.5石 広く経史を研究し、遠藤、佐竹に従い天文を習得。吉村公に仕え、世子の伝となる。「金玉其相」の著作あり。命を受けて北辰潮汐の説を研究する。 佐竹義根の門人として、統伝を受けた人物ですが、詳しい事はあまり知られていません。刈田郡平沢村を拝領していた高野倫兼のブレーン役であったことが、高野家記録に見つかりますが、、、、読めません。詳しい方、教えてください! |
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| 高野兼良略歴 |
| 宝永5年(1708) 生まれる。 享保12年(1727) 6月27日・高野雪斎隠居、立斎兼良家督相続 (高) 享保17年(1732) 4月13日,高野兵蔵が入門 享保19年(1734) 遠藤盛俊没。 元文3年(1738) 8月3日・御神主に題さる。 (高野家文書) 延享4年(1747) 評定所御役人本役 (高) 寛延2年(1749) 「潮汐図説」を著す。 (宮城県立図書館) 「三月三日潮大涸之説」を著す。(宮城県立図書館) 宝暦3年(1753) 2月15日・高野兵衛・後室婚礼 6月15日・評定所例格部類数十巻編集 宝暦5年(1755) 7月・高野倫兼・立斎に贈り物。 宝暦5年(1755) 8月28日立斎の長女婚礼 9月5日・立斎病気になる。倫兼より贈り物 9月11日・立斎の母、80の儀。 宝暦6年(1756) 11月16日・兼良の新宅の会 宝暦8年(1758) 10月19日没。享年51才。 宝暦14年 立斎の追悼 31首の和歌を贈る。 安永3年 立斎の17回忌につき贈り物。 安永6年 立斎の忌日 |
| <師弟関係> |
| 富田安實(儒者)────┐ | | 遠藤盛俊(1672-1734) ─┼─高野兼良(1708-1758) | | 佐竹義根(1689-1768) ─┘ |
| タカノ・リッサイ【高野立齋】天文家。諱は兼良、通称兵蔵、立齋また春麟と号す、廣く経史を研究し、遠藤、佐竹ニ氏に従ひ天文の薀奥を得たり、吉村公に仕ヘ世子の傳となる、命を奉じて北辰潮汐の説を進む、後ち獄吏に転ず、判決明?、屡々疑獄を断ず、公暇獄政数巻を類纂す、叉篆書鉄筆を善くし、刀法字畫故人の妙趣を得たり、其印譜を『金玉其相』と云ひ、江戸成島錦江、借??、松木理景等の序跋あり、宝暦八年十月十九日没す、享年五十一、仙臺土樋眞福寺に葬る。(碑文)其の子兼孝、通称忠蔵、天明元年十二月四日没す。 |
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