伊藤多門(いとうたもん) 養賢堂教員 |
寛政6年(1794)-明治6年(1873)以降 |
| 通称 多門、栄助 子招と号する。 祐進。100石 伊藤祐充の次男。兄を早くに亡くしている。 ☆伊藤は幼い頃から養賢堂で学び、文化12年に中西流の免許を受けています。その後、養賢堂諸生主立を経て、文政6年に養賢堂の数学教員、翌年には算法真となりました。 |
| 伊藤多門略歴 |
| 寛政6年(1794)
生まれる。 享和元年(1801) 弟が生まれる。 文化12年(1815) 松木から伝を受ける。銀子を賜る。(中西流) 文化13年(1816) 4月 養賢堂算法諸生主立 文政3年(1820) 10月 ロシア万国図を和解する。 文政4年(1821) 10月 父に代わって職に付く 文政6年(1823) 2月 初拝謁 養賢堂算法諸生扱 文政7年(1824) 6月 算法真となる。 明治6年(1873) 南目小学校の教員として算術を教える。 |
| <師弟関係> |
| ┌─千葉五郎秀胤 |