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藤多門(いとうたもん)    養賢堂教員

寛政6年(1794)-明治6年(1873)以降

 
 通称 多門、栄助  子招と号する。 祐進。100石

 伊藤祐充の次男。兄を早くに亡くしている。
<三男は、同姓の伊藤家十三郎祐利の養子となる。養賢堂諸生扱,詩(1801)文久2年4月29日歿。62才。>

☆伊藤は幼い頃から養賢堂で学び、文化12年に中西流の免許を受けています。その後、養賢堂諸生主立を経て、文政6年に養賢堂の数学教員、翌年には算法真となりました。

  
伊藤多門略歴
 
 寛政6年(1794) 生まれる。
 享和元年(1801) 弟が生まれる。
 文化12年(1815) 松木から伝を受ける。銀子を賜る。(中西流)
 文化13年(1816) 4月 養賢堂算法諸生主立
 文政3年(1820) 10月 ロシア万国図を和解する。
 文政4年(1821) 10月 父に代わって職に付く
 文政6年(1823) 2月 初拝謁 養賢堂算法諸生扱
 文政7年(1824) 6月 算法真となる。
 明治6年(1873) 南目小学校の教員として算術を教える。
   
<師弟関係> 
 
  

                   ┌─千葉五郎秀胤
                   |
     
松木清直 ───伊藤多門──┼─浅野喜三郎(関流)
     (1777-1827)  (1794-1873->) |
                   └─飯塚誠治(一関)
                      

  

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