戸板保佑(といたやすすけ)仙台藩 天文・数学者 |
宝永5年(1708)−天明4年(1784) |
| 初名 :重豊 通称 :善太郎 号 :格九 取譬甫 黄海 統天斎 植 蕃 多植 茂蕃 多植茂 戸板保佑は宝暦の改暦に参加し、仙台を代表する天文学者として知られています。彼の一番の実績は、師である山路主住と共に、日本で初めての西洋暦を作り上げたことにありますが、残念ながら十分な評価が行われていないのが現状です。山路主住から教わった関流算術の集大成である『関算四伝書』を編纂し、数学史上にも大きな功績を残しました。 戸板保佑は幼い頃に父から算術を学び、17才にして青木長由に数学・暦術を学びました。その後、仙台藩の天文学者であった遠藤盛俊の門人になり、遠藤盛俊の後継者として藩の天文学者になります。しかし、戸板は遠藤の学問に疑念を抱いていたことが、戸板の日記から伺われます。戸板は遠藤の門人になってからも青木や仲間たちと一緒に、日食や月食の観測に明け暮れます。 |
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| ■戸板保佑関連資料 |
・戸板保佑ものがたり 〜鷹、鳥を取りて舞う、鳥また助かる所をみる〜 ・戸板保佑年表 ・仙台実測志・年表 ・戸板返答書類(高野家文書) ・多植茂蕃一代記 |
| ■戸板保佑年表 |
| 宝永5年(1708) 1月27日仙台北五番丁鍛冶町西裏南側に生まれる。 享保3年(1718) 父に算術を習い始める。 享保9年(1724) 2月20日、青木長由に入門。算術と暦算を学ぶ。 3月、初めての弟子を取る。 「重」の字が差支えがあるとして保佑と改める。 享保11年(1726) 正月14日、中西流の免許を受ける。 享保13年(1728) 戸板・遠藤に入門する。 享保14年(1729) 初めての月食観測を行う。 享保15年(1730) 戸板・紅毛時計の原理を考え御前に上がる 享保16年(1731) 戸板・胡銅こん天儀を邸内に建て観測を行う 享保17年(1732) 4月表木窺管を作る。 延享元年(1744) 9月20日 夜眠れず、勅使がくる夢を見る。 「ありがたや身にも余りしみことのり うきし夢に受くると思えど」 9月28日、家禄が100石になる。 延享3年(1746) 2月交食暦法の研究で褒美をもらう。 延享4年(1747) 9月潮汐・天文の研究を命ぜられるが病気のため、 弟子の飯沢吉右衛門高亮があたる。 寛延3年(1750) 6月27日、御城で伊達宗村公に進講する。 8月2日城主、観測所を見にくる。畑のナスと青豆を献上する。 8月7日青豆を献上する。 寛延4年(1751) 5月朔日 板行暦に無い日食が起こる。前年に予報。 宝暦3年(1753) 4月日時計を作る。 7月改暦の命を受ける。8月仙台出立、9月京都に入る。 宝暦4年(1754) 戸板保佑が土御門泰邦と対立したため、伊達宗村公が仲裁に入る。 宝暦5年(1755) 6月山路主住に師事。関流の算術を学ぶ。 戸板(47)、春海の渾天儀の不備を指摘 宝暦6年(1756) 六代藩主・伊達宗村、没する。 宝暦8年(1758) 戸板(50)・仙台へ戻る 宝暦9年(1759) 2月、幻日の観測を行う。 12月土御門家の伝を得る。金30両を賜る。 宝暦10年(1760) 冬至、戸板保佑、山路主住より、見題、隠題免許を受ける。 宝暦12年(1762) 五月、船山輔之門人となる。稽古料三両。 宝暦13年(1763) 正月11日、船山に中西流の免許を授ける。 9月朔日、板行暦に無い日食が起こる。前年冬に予報 明和2年(1765) 林子平、上書の中で戸板保佑に算術の講座を持たせるよう記す。 明和5年(1768) 6月1日、船山に関流の免許(隠題・伏題)を授ける。 明和6年(1769) 8月、メシエ彗星を観測する。 明和7年(1770) 6月、彗星を観測する。 安永元年(1772) 山路主住、没する。 安永5年(1776) 広則(28)・戸板(68)渾天儀の作製 安永6年(1777) 山路之徽より印可免許を受ける。 安永7年(1778) 山路之微・没(50) 安永9年(1780) 戸板(72)『関算四伝書』、『仙台実測誌』 安永7年(1778) 5月、日野多利之助、船山の門人となる。 天明元年(1781) 日野多利之助、関流の免許を受ける。 天明2年(1782) 戸板(74)『天文四伝書』 天明4年(1784) 戸板・没する(76) |
| ■師弟関係 |
| ┌─和久半右衛門安之┐ |
| 小野安左衛門時中:始め、平太郎時香。 首藤善左衛門 :父の孫左衛門は相原氏の門人。 粟野平左衛門 :始め、百沢新助。格方、免許。 杼窪雅楽之丞 :八弥。後に佐竹五郎左衛門。 伊藤助之丞直言 :書道家。戸板初めての門人。 |