高野倫兼(たかのともかね) 仙台藩・評定所役人 |
| 高野倫兼(ともかね)藩士。刈田郡平沢村主、通称隼人、また備中、幼名左太郎、詠帰亭また後楽と号す。吉村、宗村、重村三公に歴仕し若老に累進す。性風流詩歌を嗜み茶道を善す。天明2年正月15日没す。享年82、刈田郡円田村保昌寺に葬る。<仙台人名大辞書より> 高野倫兼自身は天文を学んでいた訳ではないが、佐竹義根の高弟・高野兼良を登用していた。儒学者としても知られ、芦東山とも交流があった。倫兼の日記を中心とした高野家記録には、戸板・大塚らの天文に関する記録も見られ、たいへん興味深い。 |
| ■高野倫兼年表 |
元禄14年(1701) 生まれる 天明2年(1782) 没する |