仙台藩の天文古記録 |
各町の町史・市史などから、流星・気象・その他の天変の記録を集めました。 |
| 大永元年(1521) | ●十二月二十五日大成光り物飛ぶ(暦面裡書) 流れ星の記述でしょう。 |
| 天文十四年(1545) | ●六月ほふき星出ル(暦面裡書) 天文二十三年ともあるが、いずれも該当なし。 |
| 寛永二年1625 |
●三月十五日 月くれないのごとく(阿部家記録) 他の文献にも同様の記述あり。気象現象か? |
| 明暦二年 |
●正月二十三日 夜長三間ばかり幅二、三寸程の赤き雲出(阿部家記録) 低緯度オーロラの可能性も考えられますが、この頃の太陽活動は低調でした。なんだろう? |
| 寛文二年 | ●三月六日より二十日迄月紅の如し(阿部家記録) |
| 寛文六年 | ●人の形の 光物出る(阿部家記録) おそらく、火球と呼ばれる明るい流れ星でしょう。江戸でも見えた記録が残されています。 |
| 寛文七年(1667) | ●二月十二日 流星東江トビ、ライの如し(阿部家記録) 西暦1667年3/6 ライは雷のことでしょうか? |
| 寛文九年 | ●三月十二日 流星出 東江飛雷のごとし(阿部家記録) 西暦1669年4/12 |
| 延宝二年 | 同二甲寅二月二十六日、夜幅一丈斗ノ黒雲東より西江タナヒク、空中ニ橋ヲカケタル如シ(石巻・加納家の記録) |
| 延宝七年 | ●西に長星出るひとすじにながい(阿部家記録) |
| 貞享二年(1685) | ●二月二十三日 夜の五ツ時 ひかり物 西え飛二尺程(阿部家記録) ●二月二十二日 夜光り物飛(南方町暦面裡書) これも、流れ星の記述と思われます。西暦1685年3/26,27 |
| 貞享三年 | ●同年十一月五日 布地獄祭 惣坊中之前え此之坊より 光物 飛来ると 思えば十四ばかり之人顕れ 舞いを舞と見得ければ火出焼 金鉛鈴かと疑敷仏体顕(阿部家記録) |
| 貞享四年 | ●一、同四丁卯二月二十一日夜丑刻大成流星鳴動(石巻・加納家の記録) 西暦1687年4/3 |
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元禄14年 ●中新田切添御竿入大星出る四十七人夜討(阿部家記録) この年の暮れ、西暦では明けて1702年1月、西の低い空でマイナス4.3等の金星とマイナス2.1等の木星が接近しました。金星は徐々に高度をあげて、人目につく頃となっていたことから、”大星出る”の記述となったのでしょう。 |
| 宝永六年 | ●一、同六己丑二月二十八日戌刻光物戌より辰巳飛(石巻・加納家の記録) 西暦1709年4/7 |
| 元文三年 | ●三月五日 西より南えひかり物飛雷のごとし(阿部家記録) 西暦1738年4/23 |
| 元文五年 | ● 一、当暦ニ子時ヲ一日一夜初、とまといなきため被相印(石巻・加納家の記録) これは、元文五年暦に記載されていた「世俗では、明け六つを一日の始めとしているが、子の刻を一日が始まりですよ」と記されていたための、注釈と思われます。 |
| 寛保二年(1742) | ●一、十月五日庚申日ニ月弐ツ出ル卜唱、(石巻・加納家の記録) |
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●延享元年
三月十二日 此夜九ツ時木星貫月(芦東山日記) 儒学者・芦東山による木星食の記録です。 |
| 宝暦四年 これは、宝暦五年暦に記されていた注釈を書き写したものです。 |
●一、貞享改暦以後是迄貞享暦相用候処違有之付測量被仰付、此度於京都改暦宣下暦号定陣義被遂行、新暦号宝暦甲戌暦ト被相定候、依之来亥暦より暦領行之事右ハ十二月十五日晩月十四日月ニ拝、十六日晩は十五日月、正月もはきと不申、三月ハ満月ニ拝 一、暦面ニハ尤日多、吉日ハ天しゃ・大明二ツニ而世俗日取定かたかるへし、仍而今天恩母倉月徳三ノ吉日記 一、彼岸中日昼夜等分、前暦是違、故ニ今より其誤糺シ仍而前暦の彼岸と春ハ七日進ミ、秋ハ三日すゝむ物也 一、昼夜ヲ分事世俗時取惑多シ、一たひ翌ノ子ヲ付出スいへとも猶其惑解かたし、故ニ夜半より前を今夜と記、夜半より後ヲ今暁卜記者也 土御門従三位陰陽頭安倍泰邦 門人渋川図書 天文生源光洪(石巻・加納家の記録) |
宝暦六年![]() |
●一、子正月より東方ニ毎夜三寿星並出ル、常星より甚光 ○穀主星五穀成就万民泰守星也 ○寿元星天子将軍万民至迄永繁昌泰守屋也 ○泰主星民和楽ニ而日本並小島抔迄難ヲ守星也 是五代孝昭天皇御宇出ル、三寿星此年五穀満作大豊年、今宝暦六丙子年迄千百十五年ト云(石巻・加納家の記録) さて、どうしよう?三寿星は、穀主、寿元、泰主星の三つのようです。この年、東の空には、-0.5等の火星が、双子座の足下に輝いています。ん〜・・・火星、オリオン座のベテルギウス、おうし座のアルデバランか?それとも、単にオリオン座の三つ星でしょうか?皆さんどお思います? |
| 宝暦八年 | ●一、同二月二日暮過東方より光物飛立西ノ方鳴渡飛(石巻・加納家の記録) 西暦1758年3/11 |
| 宝暦十四年(1764)
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●十月朔日 日中星顕非変事 去月末日中星光得義仰の説??江戸より申告来に付き戸板氏へ伺??太白星に候 離日四・五十度に?得多?天?時??見得?今小青天の時可伺?日より西四十度?明方の明星の出??をめあてにし可伺去月27・8日?は月の近に太白星見え候 諸人見付義と?変事にぞ無也申来(高野家記録) 9月下旬、青空の中に星が見えたことに対しての戸板保佑の見解が書かれています。 |
| 明和四年 4月7日にかなり強い地震が仙台を襲いました。それに前後して現れた旗雲や怪鳥と天変との関連について、高野倫兼が戸板に問合わせた事に対するコメントです。 |
●四月十四日 旗雲怪鳥天変戸板氏答 御自筆記 戸板氏???問之返書 |
| 明和六年 | ●九月二十四日 不忘山御登山太陽出潮の図御自筆記(欠本)(高野家記録) |
| 明和六年 | ●十月二十八日 光物 多分、流れ星の記述でしょう(高野家記録) |
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明和七年 ●閏六月六日 太白入月説 戸板氏善太郎御用見?事?被?見話?出?先日木星月に入を見ん事成???吉凶?無く??古????沙汰して行????立太白星入月中光・・・・(高野家記録) この年に起こった木星食に関する質問に対する戸板保佑の返答です。金星(太白)が月に隠された現象を引用して説明されています。(1770年6月8日 20時43分〜22時9分) |
| 安永二年(1773) | ●4月13日 日月影色淡く(高野家記録) |
| 安永二年(1773) | ●5月17日 白虹経天(高野家記録) |
| 安永七年(1778) 彗星と書かれていますが、この時期に該当するような、明るい彗星は見当たりません。多分、雲間に現れたすばるを見間違えたのでしょう。 |
●閏7月25日 過9日宵間白虹亘天、閏7月28日 気変白雲彗星 閏7月25日 過9日宵間白虹真天南方より北方迄衆人?見皆?彗星東南之間?夜半見と唱ふ?続?天不見? 閏7月27日 過9日白く?真天と申彗星の事?未及?西??は日?信事?以和???????率????申入???申す??見へは?常の雲??無し申????変異?係し事?い?????気?の義?と??て?事を?に ??吉凶に?事に古人申得???白雲の??に稀??象にて?見申候又異星の唱???及??候 ?に天象観??共一切不?見???多郎殿昴?雲間に晴を??異星??見遠くの方??問返?(高野家記録) |
| 天明三年 この年の七月に、浅間山の噴火がありました。この影響で月日が赤く見えたのでしょう。 |
●一、八月廿六日七ッ下日輪赤、尤日輪江丸キ輪廻り猶赤、往来人迄南北南より見候得ハ赤クうつろい、廿七日も同前、九月二日三日曇月影拝不申、四日五日七日迄月赤、村々引立御出、御分領中青立ニ付諸士救方、御知行半地御手伝被仰付候処、先以当年御扣被仰渡候(石巻・加納家の記録) |
| 天明五年 暦注の解釈と、実際の事件が記されている例です。 |
●一、暦例ニ五土人民死、六金牛馬死、七火千厘焼と申伝候、春初より人死並牛馬死、火事多 (石巻・加納家の記録) |
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寛政七年 ●七月十三日夜五ツ時星月の中え入(阿部家記録) これも、木星食の記録です。 |
| 寛政五年 | つけたり。右大地震(寛政五年正月七日大地震)のこと余り不審なるにつき、則御奉行様御寄り合い天文者を召し出だされ、いかなることかと御尋ねありけるに、御大変の印なりと答え候由のところ、日向様、大変とはいかがのことと仰せられ候えぱ、天文者答え、大変と申す儀御不分りにては申し上げベき様これなき段、答え候えば御立腹のよう模様ありければ、大隅様、当国ぱかりに侯や余国も同様に候やと尋ねられ候えぱ、江戸は揺り申すまじくと答え上げ候えば、御用済み候段仰せわたされ、あい下り候由に候ところ、その年の内に屋形様始めあげ御三方様御死去あそばせられ候由にこれある段、天文者追々申し上げ候由。(検断久助 文化・文政・天保の記録) |
| 寛政九年 | ●正月三日日三ツでる 朝五ツ時 大いに暖気(阿部家記録) ●二月五日朝五時日天五色の笠を召 日二ツ出る 日の形ありて目にささり西の方江一間程長く光り有り 四ツ時少し前にきゆる(阿部家記録) (幻日と呼ばれる気象現象です。) |
享和二年![]() |
●二月三日 夜の七ツ時星出る金のごとき光有り(阿部家記録) この日、しし座のデネボラの近くには、土星と木星が輝いていました。方角も書いていないし、早起きしたら木星が見えた・・・ということなのでしょうか?ちなみに金星は太陽の近くで見えません。 西暦1802年3/6 |
| 文化十四年 | ●十一月十一日昼の四ツ時日三ツ出る也 両方薄四雲立絵の如し 又昼九ツ時北の方に御笠有り絵の如 日天より五十間斗北之方に有り四雲有り(阿部家記録) |
天保八年![]() |
●正月はしめより空の中央より少し南へよりて見なれざる大なる二ツの星顕わる北の方ハ赤く南の方ハ白し其間見る所四五尺も隔■■■と思わる当年の豊凶いかかあらんと世上の噂まちまちなり この年,しし座で火星と木星が接近しました。 |
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嘉永三年六月十三日 陸前高田市気仙町長円寺の境内に巨大な隕石が落下する。 |
| 安政二年 | (十二月朔日〜十日の記録)仙台出板暦 上ヨリ御百姓門毎ニ壱冊三十弐文宛を以被仰付候事(古川・永代家記録) |
| 明治元年 | (十二月十五日以後の記録) 来年之暦御売出に今無之事 |
画像の作成はアストロ・アーツ社ステラナビゲータを使用しました。