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せんだい天文史跡めぐり (ほんとうは東京)

 
 ■高橋至時・景保の墓 東京都台東区
 
 高橋至時は、大坂の同心でしたが、麻田剛立の弟子として天文を学びました。商人であった間重富と共に、新しい暦の研究を行っていました。寛政の改暦の直前に天文方に任命され、江戸に移り住みました。ちょうどこの頃、至時の下に伊能忠敬が入門し、師弟関係を結びました。
 彼らが研究していた暦は、それまでの天文方や仙台で研究していた崇禎暦よりも正確な数値を使い、楕円軌道も考慮された暦でした。
   
 高橋至時には、二人の息子がおり、長男景保は、天文方高橋家を継ぎ、次男の景佑は、渋川家の養子となりました。兄・景保は忠敬没後に、忠敬の日本地図を完成させますが、この地図をシーボルトに渡したことが発覚し、捕まってしまいます。(シーボルト事件) 景保は、獄死してしまいます。
 一方、景佑の墓は、渋川家の墓がある品川・東海寺にありますが、何故か同じ養子である入間川敬也と同じ墓に入っています。景佑の遺志なのでしょうか。今となってはわかりません。
 もう一つ不思議なことに、景保・景佑兄弟の名前は、”保”、”佑”であるのは、単なる偶然でしょうか。
   

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