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せんだい天文史跡めぐり

 
 ■岩手県一関市・配志和神社 渋川春海慰霊の地
 
 一関にある配志和神社も、春海の慰霊祭が行われた一つです。この神社のある山ノ目地区は仙台領でしたが、一関藩の中心部にの、ごく近い所にあります。一関藩主・田村右京太夫は、春海の良き理解者でもあり、風流の友でもありました。田村建顕、誠顕父子は、春海、昔尹父子より、神道の秘伝を授かっています。
 慰霊祭が執り行われた享保17年には、すでに田村父子は亡くなっています。しかし、次の城主や家臣たちが、春海の慰霊祭を行うだけの下地は整っていたのでしょう。
 菅江真澄が天明6年に記した「はしわのわか葉」には、「はしわの杜には神星、土守が祭られて・・」とあり、春海とともに、土御門泰福も祀られていました。しかし、残念なことに春海と泰福が祭られていた社はなく、その場所すらも伝わっていません。

 

 渋川春海と土御門泰福は、師弟関係にありながらも、幕府と朝廷の天文者であったがゆえに、”対立関係にあった”と、評されてきました。しかし、この神社に二人が祀られていた事実に対して、なにを語る必要があるのでしょうか?
 寛保三年、配志和神社は、吉田家より配志和大明神の神号を貰い受けました。そして、延享三年。土御門泰邦卿が「配志和大明神」の額と歌を贈るとあります。
 栗駒山を隔てた駒形根神社では、”栗原・西磐井・雄勝の氏子たちの要望”で、神仏分離が行われたとあります。この神仏分離の運動は、好学の藩主・田村建顕の学問が民衆たちにも広まっていた、という証なのかも知れません。

 「みちのくの 梅もり山の神風も 吹き伝へこし わが心葉に」

 泰邦が、父の祀られている遠い東北の地を思いつつ、詠んだ歌なのでしょうか。

土御門泰邦卿筆の社名額
(「配志和の森さんぽ」より転載)

地図

 

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 ”社名額”の画像は、配志和神社の許可を頂き掲載しております。無断転載を禁じます。


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