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いちのせき天文史跡めぐり

 
 ■時の太鼓・祥雲寺
 

 一関で、時報に使われていた時の太鼓は、
「一関に過ぎたるもの二つあり、時の太鼓と建部清庵」
との言葉にあるように、一関の人々の自慢の逸品でした。時を告げるのに、太鼓を用いていたのは、二条城、幕府、御三家など、ごく一部に限られていたためです。
 僅か3万石の小藩が幕府から特別の許可を得て、貞享3年7月から使っていたとあります。藩主、田村健顕が、幕府からよほど信用されていた証なのでしょう。
 「一本のケヤキから4つの太鼓が作られ、祥雲寺のは三番目のものである。」とあり、これとは別に、長昌寺にある太鼓が有名です。
   
 時の太鼓とともに、並び称されている建部清庵(正徳2〜天明2)は一関の藩医でした。仙台や江戸で医術を学び、独学で蘭学まで学んだとされています。晩年、建部が杉田玄白と書状で交流を持ったことがきっかけとなり、建部の弟子であった大槻茂質が、杉田玄白、前野良沢の門人となり、玄沢の号を受けることになりました。東北に於ける、蘭学の祖と言うべき人物です。
 しかし、当時の人々が建部清庵を称えたのは、こうした学術的な功績よりむしろ、飢饉の時に毒草を食べて人々が死んだことを憂いて、食用となる草をあつめた「民間備荒録」などの著作に対する評価だったのではないでしょうか。

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