いちのせき天文史跡めぐり

 
 ■田村建顕の墓 祥雲寺
 
 寛文事件の騒動で突如一関三万石を与えられた田村建顕は、浅野内匠頭が切腹したお屋敷の主として大変有名です。
 地元一関では学問好きのお殿様として知られています。建顕とその養子である誠顕は、吉田神道などを学んでいましたが、同時に渋川春海との親密な交流も見つかっています。
 春海が著した「貞享暦法通書」を写しているなど、土守神道を学んでいた証拠も見つかっています。「貞享暦法通書」は、日の吉凶を詳細に記した”暦注事典”と言える内容であり、当時の上層階級が何を求めていたかを伺い知る好例です。
 
   
 田村領からほど近い一関山目(伊達領)の配志和神社で、春海の慰霊祭が行われたのも、建顕父子の影響があったためではないでしょうか。

建顕を始めとした田村家の墓は、祥雲寺の境内に残されています。階段を登った所にある盛り上がった土が、田村一族のお墓です。階段の裏手には入り口があり、盛り土の内部へ入ることができるのだそうです。まさに、古墳形式の珍しいお墓です。

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